山本 智紀(やまもと・とものり)

 

誕生日…1984年2月9日

血液型…O型

​日本防災士機構 認定 防災士

 

[経歴]

平成2年4月  中島町立中島東小学校入学
平成11年3月 中島町立中島中学卒業

平成14年3月 愛媛県立北条高等学校総合学科卒業(中央委員長)

平成18年3月 東亜大学経営学部経営学科卒業・社会貢献賞(学長賞)

平成18年4月 株式会社いうら

平成22年9月 株式会社フジ スポーツクラブフィッタ

平成26年10月 株式会社fit group

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平成30年4月29日 松山市議会議員選挙初当選(3,592票,新人3位)

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[地域経歴]

平成18年2月 スポーツアイランドフェスタ中島実行委員会 代表

平成19年8月 中島ビーチサッカー大会 実行委員長

平成28年4月 トライアスロン中島専門部会自転車部 部長

[自己紹介]

趣味…野球、読書、Youtube鑑賞

尊敬する人物…イチロー、橋下 徹

好きな言葉…「意志あるところに道はひらける」

長所…ポジティブなところ

短所…涙もろいところ

エピソード

 

​エピソード[誕生~幼稚園時代]

1984年2月9日、愛媛県松山市生まれ。

● 1歳の誕生日を迎える頃、母の故郷中島へ移住する。

   両親は祖父母の家業を継いで酒屋農家の兼業をはじめる。

 

1986年4月に弟(将太)が誕生。

  7月に『トライアスロン中島大会』が四国で初開催される。

 

2歳で保育園入園。果物飲料のネクターとプリンにハマる。

 

年少時代、歩いて近所のスーパーへ行き、

  プリンを持ち帰って食べたそうだが、本人は憶えていない。

  スーパーの店員さんがわが家へ来てくださり母がお支払いを

​  してくれたらしい。

 

性格は、わんぱくで負けず嫌い。

  1歳年上世代と並んでも遜色なく見えるほど背が高かった。

 

首と肩を動かす癖があった。

 

将来の夢は、中島消防団に入ること。消防車が好きだった。

 

自宅にトライアスリートがホームステイに来て、

  初めて身近にアスリートとの交流をした。すごく優しかった

  記憶がある。

 

母がよく絵本を読んでくれた。『長靴を履いたねこにゃん』を

  読みながら号泣したのを覚えている。冬が来ると思い出す。

 

祖父母と父が畑に行ったと聞き、歩いて向かうも迷子になった。

実家の隣にある中島町立中島東小学校へ入学。

● 集団登校の集合場所は自宅を出て,学校とは逆の場所に

  あったので距離が遠くなり、入学早々ゴネる。

親戚のおじさんがたき火をしていて焼き芋にハマり、

 火は空気に触れると強くなるということを知る。

避難訓練の時間、地震の際は窓を開け、火災の際は窓を閉める

  ことを教わり、地震で火災が起きたらどう対処するのか

  本気で悩んだ。

 

小学2年生から野球を始める。

  初めて買った野球帽は当時日本一になった「広島カープ」帽。

 

Jリーグが開幕するも、野球に明け暮れる。

 この頃、ドラえもんの映画「雲の王国」を見て号泣する。

3年生の夏休み。最初の3日間で宿題をすべて終わらせる。

  しかし登校日前日。部屋掃除の際に母が誤って捨ててしまい

  結局新しい宿題帳をやる羽目に。号泣する。

お祭りのあと、神輿が通った道端に小銭が落ちているのを拾い

  集め、神社の社務所へ届けると、あり得ないぐらい褒められる。

 

小学4年生の時、東京都内の小学生と地元中島の小学生が1週間

 無人島体験するイベント「JAL ひょうたん島王国」に参加。

 5泊6日の日程のうち、5日間ホームシックで泣き続ける。

 

学校行事、「大洲少年自然の家」に参加。

  2日間、ホームシックで泣き続ける。

 

野球チームの旅行で「久万スキーランド」へ

  引率の父親がいるにも関わらずホームシックで泣き続ける。

父がトライアスロン中島大会の実行委員長に就任する。

 ある日「泳げるか?マラソン得意か?」と聞くも、何のことか

 一切不明なやり取りがあった。

小学6年生の修学旅行で、山口・福岡県へ。

  ホームシックで泣きそうになるものの瀬戸内を見て黄昏る。

第10回トライアスロン中島記念大会にて、元巨人軍西本聖投手の

 野球教室に参加。息子さんが同級生で仲良くなる。「プロ野球選手の

 息子なんだから絶対野球やってるだろう?」と尋ねると、

 「いや、サッカーのほうがおもしろいし」とキッパリ。

 ちょっとかなしくなった。笑

翌日、勝手にエントリーされていた「第1回アクアスロン大会」

  に出場し、鉄人の凄さと水のおいしさを身を持って知る。

  この体験により、トライアスリートへの尊敬と敬愛心が生まれる。

小学校生活最後の野球大会決勝戦で、ノーヒットノーランを達成。

中学校でも野球をやろうかなと考えるようになる。

​エピソード[小学校時代]

 

中学校入学式直前。

  バスケの試合に出ている夢を見て、バスケ部入部を決意する。

 

● 英語の授業が始まり、最初のテストで100点をとる。

   後にも先にもこれが最後の満点だった気が。。。

 

学校行事でトライアスロン大会のボランティアを経験する

 

中学1年の夏休み。バスケットに必要な腕力と体力を得る為に、

  B&G中島海洋少年団に入る。豪雨の中、地元中島で開催された

 海洋少年団の愛媛県大会。カヌー競技に出場して総合優勝する。

秋になり持久力を養うためランニングを始めるも、

  畑に潜んでいた犬に追いかけられ九死に一生を得る。

中学2年の修学旅行では京都・奈良に行き、

  TBS「V6の学校へ行こう!」初回放送を宿泊ホテルで観る。

  この時、ホームシックになっていない自身の成長に驚いた。

部活の内容が一層厳しさを増し、不登校になりかけるも、

  中島町役場の教育委員会職員の方のおかげで持ち直す。

  そして2度目の海洋少年団の県大会で惜しくも優勝を逃す。

サッカーW杯アジア最終予選で、岡田監督指揮のもと、

  途中出場の野人岡野選手が決勝のゴールを決める瞬間を観る。

  深夜11時過ぎ頃だったか、ベランダで絶叫する。

 その影響もあってかGK川口能活選手にハマる。バスケ部なのに。

冬。進路に向けて調べていると、愛媛県内の高校に「総合学科」

  が増えていることに興味を持つ。

中学3年。「新世紀エヴァンゲリオン」「ロングバケーション」

 「踊る大捜査線」「GTO」に立て続けにハマる。

夏休み。3度目の海洋少年団の県大会で優勝に返り咲く。

運動会に向けてクラスで練習するも、まったくかみ合わない。

クラスメイトの影響を受けて、L’Arc〜en〜Cielを結構聴く。

進路の方針を「総合学科」のある高校に絞る。

最後の体育祭。練習で1度も勝てなかった種目でクラスが勝つ。

この1勝は、のちの人生にも大きな意味をもたらした。

 『 ”運”は動き続ける人のもとへ必ずやってくる。』

​エピソード[中学校時代]

 

愛媛県立北条高等学校総合学科に入学。

  松山市久万ノ台で独り暮らしを始める

JR通学の為、MDで「鈴木亜美」の曲を聴いていると

 「どうやら山本は熱烈なファンらしい」と素敵な噂が流れて

 瞬く間にクラスで広がる。

入学後初の学校行事は創立記念の「リレーカーニバル」。

 担任の采配でアンカーになっていた。全体的に戦略も何も

 なったのだろうと思うがラストで運よくごぼう抜きして

 学年1位になった。本来ならモテるはずのところだが、

 5月頃ともあってまだまだはじめましての状態。

 お疲れさんの空気感は今でも忘れない。

15歳9か月で取得できる「小型船舶操縦士」の受験に挑む。

  国家試験ともあって法令から旗からくまなく学習して合格する。

高校2年。修学旅行は選択制で、韓国・沖縄・関東だった。

  関東を選択し、当時流行していた「桜坂」(福山雅治さん)の

 モデルとなった田園調布の桜坂へ行った。男2人で。。。

その後両国にある宿舎のホテルへ帰って早々、もの凄い勢いでドア

  がノックされる。ドアを開けるとバレー部の女子数名が押し入る。

 その顔をよく見ると「変なおじさん」風のメイクをしており困惑。

 友人を笑わせようとメイクをして部屋を出るもオートロックで鍵がか

 かってしまい、その上体育教官の先生が巡回していたから逃げてきた

 とのこと。宿泊者が親切な人で良かったね。

弟が松山中央高校への進学をするのに伴い、古川地区へ引っ越す。

  市坪駅から伊予北条駅までの電車通学となり時間は多く必要になっ

  たものの、松山中央公園の開発過程を近くで観られたのは大きい。

高校には、大学の卒論のような「卒業研究」があり、21世紀は中

 国・インドの人口過多の国の時代が来るとの祖父の教えから、中国の

 研究を取り組んだ。科目教師から、「先見性がある」とえらく褒めら

 れたが、しっくり来なかったので、追加研究で韓国第5代大統領朴正

 熙についても研究を増やした。今思えば、中国は経済大国となり、

 韓国では実娘が大統領となっている現在を不思議に思う。

のちに大学へ進学するが、本当は専門学校へ行きたかった。

 というよりも早く働きたかった。

​エピソード[高校時代]

 

​エピソード[大学時代]

 

山口県下関市にて大学生活が始まる。

​  最初の夏休み。下関市から柳井市までの距離約150kmを原付で

  7時間かけて移動し帰郷した。瀬戸内の大きさを身を持って知る。

● 人並みにアルバイトをしながら普通教科と教職課程を専攻。

 大学生活の夏期・冬期・春期。各長期休暇の際は必ず帰郷した。

 帰郷した際、近所のおじいちゃんから「大学辞めたんか?」と

 言われるほど中島にいた時間は長く、今思えば納得できる。

大学での空き時間を見つけては福岡へ行き、ホークス戦を観戦。

  プロ野球チームが地域にあると、どれほど地域が盛り上がり経済活

 力を生むかということを肌で感じる。プロスポーツの必要性と重要性

 への理解を進めて行く機会となる。

2回生の秋、神宮で開催される大学野球で硬式野球部が日本一に

  輝く。学部の友人の多くは硬式野球部員で、彼らの日々の愚直な

  努力と優勝の喜びをもっと広く世の中が知るためには何が

  必要なんだろうと考える。

3回生の秋、まちおこしを研究・実践するサークルを設立。

  地域文化になかった「どんど祭」を行おうと、地域の方々へ

  呼びかけを進め盛況に開催。

4回生の春、大学生活最後の1年。その地域に住む方々が参加

  できる体験型のまちおこしイベント開催を考え、社会人向けに

  ビーチサッカー大会。子供向けにアクアスロン大会を企画。

4回生の夏、春からの企画通り『彦島マリンフェスタ2005』を

  7月31日に開催。アクアスロン種目には子供150人。ビーチサッ

  カー種目には大人250人。4大学連携​で学生200人が関わる大型

  イベントとして実現した。

振り返ればこの時の達成感と充実感を引きづったまま大人になる。

2004年~

  JTU日本トライアスロン連合公認審判員 取得

2007年~

 スポーツアイランドフェスタ中島実行委員会 代表

 中島ビーチサッカー大会実行委員会 実行委員長

2010年~2015年

 中島トライアスロン大会実行委員会 専門部委員

 

2012年~

 日本防災士機構 防災士 認定

2016年~

 中島トライアスロン大会実行委員会 実行委員 自転車部部長

 社会活動グループ Nakajima Next Innovations 設立

2017年~

 日本男子プロバスケットボールリーグ

 愛媛オレンジバイキングス ポリバレントアドバイザー就任

​エピソード[地域活動]

 

​私の必需品[マイアイテム]

イヤホン

 高校生の頃から船に乗るときの必需品。

 就寝前にYouTubeで演説や歴史番組を聴いています。

 また耳栓替わりにもなってよく眠れるんです。

 

ノートパソコン【GALLERIA】

  動画編集や資料デザインの際に大活躍のPC。

  本来はゲーミングパソコンですが、処理速度が速いの

  でストレスなくサクサクと作りたいものができます。

  実は、私のホームページやパンフレットの制作物の

 すべてがこのパソコンで作られています。

  つまりすべて私の手作りなのです。はい。

  【ドスパラGALLERIA GKF 1060GF Core i7 】

スマートフォン【iphone8】

  最近ではスケジュール管理、SNS投稿、書類送信等も

 スマートフォン1台で行うことができるので感謝。

 待ち受けは2年間変えていません。

 忘れそうな言葉を常に見られるようにしています。

辛坊治郎 著

  日本には様々なアナウンサーさんがいらっしゃいますが

 解説力と関西人ならではのギャグセンスの辛坊治郎さん。

 太平洋に出ればクジラに衝突し金華山沖にて遭難の経験も

 持つ異彩のタレント的アナウンサー。

​ 昔から好きなんですよね。

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